カモミールの成分『グアイアズレン』が、がんの移動・悪性化を抑える可能性を探る(健康生命科学研究所/応用化学生物学科 教授 井上英樹)
健康生命科学研究所では、人間が健康に長生きできるための様々な研究をしています。ここでは、健康生命科学研究所が行っている研究の中から、カモミールの成分を使ってがんを克服することを目指している、井上教授の研究を紹介します。
(健康生命科学研究所/応用化学生物学科 教授 井上英樹)
研究の概要
がん細胞が持つ、周りに広がる「浸潤」と、離れた場所に移動し増殖する「転移」の性質は、がんの治療を難しくさせる原因の一つです。健康生命科学研究所の井上教授のグループは、植物由来の化合物であるグアイアズレンが、がんの浸潤・転移を抑える効果を持つことを発見し、その効果のしくみを明らかにしました。この発見は、がん治療が困難である原因の一つだった浸潤と転移を防ぐための新たな可能性を示しています。
植物由来の成分が人々の健康を支える
植物由来の天然化合物は、医薬品開発にとって重要な供給源です。特に、がん治療薬の80%は天然物または、その関連物質から作られています。例えば、ハーブの一種のカモミールは、炎症を抑える効果があるため、昔から広く使われていました。この効果はカモミールの成分であるグアイアズレンによるものです。グアイアズレンは口内炎の治療やのどスプレーなどにも使用され、その効果と安全性は高く評価されていますが、グアイアズレンの作用の全体像は分かっていませんでした。井上教授は、グアイアズレンのがんに対する効果に着目し、がん細胞の移動を抑える効果と、がんの悪性化に対する効果を調べました。
グアイアズレンが、がん細胞の移動(アクチンフィラメントの重合)を阻止する
がん細胞は、最初に発生した場所(原発巣)から水がしみ出すように広がり(浸潤)、血液やリンパ液に乗って移動する転移によって他の部位で再び腫瘍を形成します。この浸潤・転移ががん治療を難しくさせている原因の一つです。近年、この浸潤・転移を抑える化合物の研究が進んでいますが、臨床応用には至っていません。
井上教授は、浸潤・転移の過程で重要な役割を演じている細胞移動に対するグアイアズレンの効果を調べ、グアイアズレンが肺がん細胞の移動を抑えることを証明しました (図1)。
図1 【グアイアズレンはTGF-βによって促進される細胞の移動を阻止する】
TGF-βを投与したものは、上下の細胞の移動によって、対照より黄色の点線の範囲が狭くなっているが、
TGF-βに加え、グアイアズレンを投与したもの(TGF-β+グアイアズレン)では、上下の細胞の移動が抑えられた。
次に、グアイアズレンがどのようにして細胞の移動を抑えるかを調べました。その結果、グアイアズレンは細胞の移動を活性化する分泌性のタンパク質(TGF-β)のはたらきを阻止することがわかりました。TGF-βは、細胞表面にある受容体と結合すると、細胞内のさまざまな情報伝達経路を活性化させることがわかっています。グアイアズレンはそのなかでも細胞の移動を促進する経路であるFAK経路のはたらきを阻止することがわかりました。そこで、細胞の移動に対するグアイアズレンの作用を調べたところ、グアイアズレンは細胞が移動する際に「足」のような働きをする、アクチンフィラメントの重合(図2)を阻止することが明らかになりました(図3)。これらの結果は、グアイアズレンはがん細胞の「足」を作れなくすることにより、移動を抑えることを意味しています。
図2 アクチンフィラメントが重合し、細胞を外向きに押し出すことで伸長、足のような働きをして移動する。
図3 【グアイアズレンはアクチンフィラメントの重合を阻止する】
TGF-βを投与したものは、アクチン重合が進行し、緑の蛍光色が強く見えるが、
TGF-βに加え、グアイアズレンを投与したもの(TGF-β+グアイアズレン)は、重合が阻止され、対照と大差がない状態。
グアイアズレンが、がん細胞の悪性化『上皮間葉転換(EMT)』を防ぐ
さらに、井上教授は、グアイアズレンががんの悪性化を防ぐことも明らかにしました。がんの悪性化のしくみの一つとして、上皮間葉転換(EMT)という現象があります。EMTとは、細胞が周りと強く接着して離れない(上皮性)性質から、周りとの接着がゆるみ移動しやすくなる(間葉性)性質を獲得することです。これによってがん細胞が悪性化を進め、浸潤・転移が起きやすくなります。グアイアズレンは、接着をゆるめるFAK経路のはたらきを阻止することで、がん細胞の移動とともに悪性化も抑える効果があることがわかりました。この研究でわかったことの模式図を図4に示します。
図4 グアイアズレンががん細胞の転移を阻止するメカニズム
今後、この研究成果をもとに、グアイアズレンが動物実験でもがんの浸潤・転移抑制に有効であるかどうかを確認し、新たながん浸潤・転移抑制剤としての可能性を探る予定です。グアイアズレンは既に低毒性で抗炎症薬として利用されているため、新しい薬剤として早期に実用化できる可能性があります。